こんなよい月を一人で見て寝る
こんばんは、カスです。今日はどうやらふたご座流星群の日だったらしいですよ。
今日引用したのは尾崎放哉の一句。突然それまでの人生を捨て、晩年は細々とした暮らしをしつつ、一人を静かに強調しながら消え行く彼の句は、細く、しかし迷いはないように引かれていく一本の線の様な内心を感じさせます。
早めに就寝をしたら腹痛で起き上がり、厚着をして外に出る。もうゲームやインターネットを新たにする気にも今日はならないから、せめて月を見ることができればと思い立ち、戸を開ける。
あまりの星々の量に、今日が流星群の日だった事を後で知った。
普段は空も見ない日本中の人達が、電灯に集る羽虫のように空を見上げて光を想う事を考えると少し面白い。私は散った後の桜の木も好きですが、栄枯を知るからこそ本質が分かるのであって、お前らのそんな世界の見方では、本当に美しいものなどわかるまいと鼻で笑いたくなってしまう。斜に構えた数十年。
この話は笑い話で終わりますが、しかしそんな見方で生きてきた人達の方が、私よりもよっぽど人間を上手にこなせているというのが事実。
私はよだかになるにはあまりに多くの命を食べすぎてしまったので、今日も星をのんびりと見て眠るのであった。どどん。
こんなよい星を一人で見て寝る。
お疲れ様でした。また次回。