月が綺麗ですね。お前の事が好きだ、という意味ですよ。
皆既月食の何日か後に、雲掛かった月を見てこちらの方が美しいと言ったことを思い出した。希少性が美しさの価値を決める要因であってはならない。人気も同じく。俺は月と同じか、それ以上に西松屋の花壇に乱雑に植えられ枯れた花にも憂いと美を感じている。いっそ引っこ抜いた方が良くないか?と思いながら歩く。
切れかけの電灯も破れたコンクリートも薄れてボロボロになった「止まれ」の文字も美しい。なんでか道端に置かれていたショッピングカートも美しい。
もちろんこれら全てが完全に綺麗になっていたとしても美しい。
結局は全部己の受け取り方でしかなく、二十数年生きてきたそれまでがどこへ価値観を寄せているかでしかない。TikTokとYouTube shortのカスみたいな投稿も愛しい。
しかし何をどうしてもしっくりとこないのは、感覚を回してしかいないからだろう。ルービックキューブを何度も何度も動かせどカチリとはまる感覚が無い。
そんな感覚は元々存在せず、勝手に1人で踊って回している内に元がわからなくなっただけではないか?
あるよね。説明書無くしたガンプラ変形させようとして全部終わるとか。
な〜〜んにもわからない。わかる気がしない。わかろうと思ってない。結局人は他人に寄り添えず、寄り添う姿勢しか取れないので。俺は俺に寄り添う姿勢しか取れない。諦観で高速道路を逆走しろ。